「旅の終わりに」

「あーだから今夜だけは君を抱いていたい。あー明日の今頃は僕は汽車の中」

心の旅 チューリップ

2ヶ月の旅を終えて、バンコクを離れる日。市中心部から郊外にあるスワンナプーム国際空港まで繋がるBTSという高架鉄道の車内で僕はこの歌を口ずさんだ。旅は僕の掌から離れようとしていた。それでも今だけは旅情を抱きしめていたかった。

時刻は午後零時を廻ったころだった。AM2時に出る飛行機に乗るにはギリギリの時間になっていた。迫り来るTake Offの時間に焦りながらも心の片隅では乗れなければ良いなと思った。

正面の座席に座る、出勤前のキャビンアテンダントが怪訝そうに僕のことを見ていた。車窓に流れる、灯籠のようなバンコクの街並みを見つめる僕の目は充血していた。ただ僕の頬を濡らしていたのは何も旅愁のせいだけではなかった。

もう1つの理由を書く必要性と相当性を認めながらも、同時にもっとも大切な勇気を待ち合わせていない。今はまだその理由を書くだけに出来事は熟成していないし、僕の中でも上手く消化し切ることは出来ていない。

列車はスワンナプーム空港駅に到着した。列車を降りようとした所でお土産の紙袋を座席に忘れていることに気がついた。紙袋には1枚80バーツ(250円ほど)のタイパンツが7枚入っていた。帰国する日になって、バンコクの観光街であるカオサン通りで購入したものだった。

カオサン通りは旅の初めに訪れた時と、まったく変わらずに存在していた。大音量のポップミュージックを店内から流すダンススタジオやサソリなどのゲテモノを売る屋台。人混みの中から一筋の光がバンコクの空に上がった。スピンフォールという光る竹トンボのような玩具だった。スピンフォールはバンコクにもホイアンにも売っていた。メコンデルタのカントーまで一緒に旅をしていたY君はスピンフォールを欲しがっていたのに、手に入れる前に帰国してしまった。僕はY君のためにスピンフォールを2つ40バーツ(130円ほど)で購入した。

カオサン通りの雑踏で中国系の男にいきなり声をかけられた。

「Do you remember me ?」

どこかで見たような気もするが、男のことを思い出すことが出来ない。それでも僕は適当に「Yes,of course」と返事をしてしまった。しばらく話をした後に「Have a good trip」を交わして別れた。

別れた瞬間に男が、バンコクのホステルで同部屋だった中国人であったと思い出した。彼は4.5人の友人と一緒に旅をしていて、僕たちは夜遅くまで話をしてから記念写真を撮って別れたのだった。

慌てて振り返ったが彼の姿はすでに雑踏の中に消えていた。

カオサン通りからバスでホステルに帰り荷詰めをしているとMさんがやってきた。

「やあ元気かい。とうとう行くんだね」

「ええお世話になりました。日本に帰ってからもご連絡を差し上げてもよろしいでしょうか?」

後日談になるが、僕はまだ帰国後に1度もMさんに連絡をしていない。それはMさんがblogを読んでくれていると知っていたからである。

Mさんは地下鉄の駅まで見送りに来てくれた。そうして僕は空港に向かった。

飛行機は定刻を少し遅れて離陸した。離陸してしばらくすると隣席の老婆が寝息を漏らし始めた。まぶたを閉じてバンコクの寺で教わった瞑想をしている内に僕も眠りに落ちていた。

飛行機の経由地は韓国の大邱空港(テグ)だった。乗り継ぎ時間は7時間近くあったが、外は生憎の雨だったので、僕は2階の平たく並んだ椅子に座って北杜夫の「どくとるマンボウ途中下車」を読んでいた。

空港内のコンビニエンスで軽食を探していると女性店員が日本語で話しかけてきた。

「わたし、日本に7年間いたのです」

それから店員はコンビニの家賃が月に1200万円であることなどを教えてくれた。

「空港だから高いの。でもね、それ以上に儲かるの」

韓国から日本までの飛行路は二時間足らずのものだった。うたた寝をしている間に関西国際空港に着いてしまった。飛行機と空港を繋ぐパッセンジャーブリッジ(搭乗橋)の半ばで、足が止まってしまった。

「引き返したとしても飛行機には乗せてくれないし、旅を続けることも出来ない」

そう認識をしていても僕はその場で固まってしまった。

「いったいこの旅は僕にとってどんな意味を有していたのか?」

それはミャンマーを離れてから自分に投げ続けていた問いだった。この2ヶ月は19年の中で間違いなくもっとも濃厚で途方もない時間だった。だがそれを甘美な思い出だけでまとめるようなことはしたくなかった。

「この旅を契機に、僕はなにか生涯を左右するようなことを掴んだのだろうか?」

僕はこの問いの具体的なAnswerをまだ見つけていなかった。10分ほど立ち止まって、それからこういう考えが頭に浮かんだ。

「答えなど今は見つからなくても良い。過去を規定するのは現在の自分だ。僕のこれからの行動が、この旅を『ただの思い出』にもするし、『人生の分水嶺』にもするのだ」

僕は再び踵を返して空港に向かう道を歩み始めた。

「恐れずに生きていこう」

そう胸に抱きながら。

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