「ぼくはいつも……」

僕は中学生の頃、授業中にいつも地図帳を広げていた。社会の授業中はもちろん、国語や数学の時も机に伏してパラパラと地図帳をめくっていた。裏面に「国土地理院」とカクカク印字されている地図帳を青の装飾が薄れるくらいまで読み込んでいた。(そのわりに地理の成績は思わしくなかったが)
地図帳を読んでいる内に、だんだん教師の声が遠のいていって心が浮遊していく感覚がたまらなく好きだった。
乳牛の印が付いた十勝平野やベルリンの街の詳細地図。お気に入りはアフリカ大陸北部のサハラ砂漠のページだった。このページには砂漠以外に何もなくて、だからこそ星の王子さまがいるような気さえした。
僕はまだ見ぬ世界に憧れていた。

一方で中学生の僕の精神世界はかなり抑圧されていた。僕は当時、隣市の野球チームに入っていた。監督はなんだか厳しくて練習は週6日もあった。まとまった休みは正月の3日間だけだった。

僕はこの一向に上達しない球技にウンザリとしていた。だいたい嫌いだった。(なぜか高校まで続けるのだが)

監督は選手に1日千本の素振りを命じた。僕はこの義務をエスケープ出来るくらいの勇気を持ち合わせていなかった。やってみると分かるが千本の素振りは退屈で苦役だ。2時間も3時間もバットを振りながら僕は分かっていた。
「こんなコトが人生の役には立たない」と。

僕は野球に向いていなかった。それでもなぜか長いこと野球を続けていた。どれだけ悪い状況であれ、人は継続性が担保されているうちは妙に安心してしまう。たぶん……

野球で卑屈になったこころは、他のすべての事柄に対しても少年を卑屈にさせた。いたいけなこころは屈服させられ、そんなこころを理解してくれる人はいなかった。依存できる人もいなくて、ただ夜な夜な枕を濡らしていた。僕はただ全てにおいて「普通」になりたかった。

中2の冬、食べたものをもどすようになった。14歳のこころのキャパシティを超えていたのだと思う。

中学生の僕にとって重松清の小説やBEATLESの音楽、そして地図帳はこころを解放してくれる処方箋だった。

高校野球を引退した後、周りの友人は目標を失って茫然としていた。その中で僕は思った。
「やっと自分の人生が始まるのだ」

大学に入った後は好きなように行動してきた。自転車で2300キロの旅をしたり、東南アジアを陸路で回る旅をしたりと。

今でも週一で野球の夢を見る。たいがい守備でミスをする夢だった。起きて夢だと気がついた後、タオルケットで汗を拭いながら「もう自由になれたんだよ」とこころに言う。
やはり人はある程度、こころに風を通さなければしんどいだろう。

バンコクに戻った僕はMさんと再会した。
Mさんが何をしている人なのか僕は知らない。ただ間違いなく旅中で一番、影響を受けた人だった。旅の出発地であるバンコクを離れてからもMさんは、メールをくれた。時には厳しい言葉が返ってきた。でもそこにはそれ以上の愛情がこもっていた。
Mさんはいたいけで遊動的な青年の危うさを危惧してくれていた。交わしたメールの数は50通を超えていた。
僕は今まで自分の気持ちを全力投球できる大人を知らなかった。Mさんは若者の未熟な気持ちを受け入れてくれた。そうしてより強い返球を返してくれた。
そんな大人に出会えた幸運を僕は感謝している。

2人が話したコトは僕の心に留めておくべきで、ここに書くことは信義に反する。それでもいくつかの事柄をここに記して旅中の心情を述べたい。

2か月の旅で経験したことを僕はMさんに話した。
「僕はまだ未熟で知識も経験もありません。そのことをロヒンギャの村で痛感しました。だけどいつか、ロヒンギャ問題の解決の一助になれるようなことがしたいです」

Mさんは笑顔で相槌を打ちながら、僕の話を聞いてくれた。その後、おだやかであるがピシャリと言った。
「遠くのコトを考えることも良いかもしれない。けれど日本国内にだって、いや君の身近なところにだって考えるべき問題はたくさんあるだろう」
「でも」と僕は反論しようとして出来なかった。たしかに僕はそのような視点を欠いていた。気づこうとしないだけで、見つめようとしないだけで、身近にも問題は山積している。人間が抱く困難の萌芽をきっちりと見つめなければと反省させられた。

それからMさんはこうも言った。
「問題に気づくことが出来たのは良かったかもしれない。ただそれは容易で、誰にでも出来ることだ。大切なことは問題をいかに解決するかではないかな」
観念では現状を動かすことはできない。具体的に何かをすることが大切である。現状を変えることができなければ、いかに理想的なことを語ってもそれは嘘で自慰にすぎない。

僕はロヒンギャについてブログで書き、それを多くの人に知ってもらうことが大切だと思った。だけどブログを読む人は少数である。
否、もし多くの人がロヒンギャの苦境について知ったところで現状は変わるのだろうか?
長期的に考えると報道は世論を巻き込んで、問題の解決に向けた流れを作ることはできるかもしれない。
ただ短期的な問題として平和な日本に住む人々がロヒンギャのことを知ったとして、はたして関心を抱くのだろうか?
そうであるならば報道という間接手段よりも、NPO活動などの直接手段の方が良いのではないだろうか?
このことがMさんとの会話から現在まで考えていることである。
「僕はどうするべきなのだろう?」そうして「僕に何ができるだろうか?」

若者は純粋であると思う。他人の反応をあまり気にせずに突き進んでいくことができる。純粋であるということは世間を知らないということとイコールなのかもしれない。純粋であるからこそ僕は誰も読まないブログを書き続けることができた。(現在、書いていることもどうせ読まれないのだが)
ただそれではいけないのだとも痛感させられた。それではどうにもならないのだと。

社会は人の連帯で成り立っている。そうであるならば必然として他人の反応を考えなければならない。
僕は空想的社会主義者でも哲学者でもない。現状を変えたいのならば、シビアな現実主義者にならなければならない。リアクションがなければ行為は意味を有しないのだ。
「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
「金閣寺」 三島由紀夫

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