「ビルマの竪琴」の風景 Ⅰ

「おまえはかえれ。おまえは踵をもとへもどせ。おまえはここにくるまでのあいだに見たもののことを、もっとよく考えよ」
[ビルマの竪琴 竹山道雄 新潮文庫 P180]

「旅を終える」と決めた僕は、その日のうちにヤンゴンまでのバスチケットを購入し、翌朝のバスでシットヴェを発った。予定ではヤンゴンまで23時間かかる。
「バスの中でゆっくりと旅の総括をしよう」

総括。旅の終わりが必然のものと決まると、やはり去りがたかった。
「旅で見たもの、感じたことを決して忘れないように心に刻もう」

もうすぐ極東の経済大国に帰る。10日後には大学2回生の春学期が始まる。せわしない日常の中で、旅中に感じたことは否応にも風化されていくだろう。それでも時折、この旅を感傷と共に思い出すだろう。

僕はもうロヒンギャ問題を他人事と考えることはできない。ロヒンギャの村で受けた親切、友達になった人々。ロヒンギャの現状を目の当たりにしながら、のうのうと安全な日本に帰るのだ。卑怯なのかもしれない。

ただロヒンギャの村では、自分が力不足であるということも痛感させられた。語学力、宗教的知識、事象への観察力。全てにおいて僕の能力は不足していた。僕がブログでロヒンギャについて書いても、読んでくれるのはほとんど友人で、反響もない。現状を変えることはできない。
「もう一度、力をつけて戻ってこよう」

バスはスリーピングシートですらない。地獄みたいな行路だった。退屈しのぎにスクリーンに映されている映画を見る。

それはアジア・太平洋戦争を描いた抗日映画だった。日本兵(ミャンマー人が演じているのだが)がミャンマー人によって追い出される。

乗客(僕以外は全員、ミャンマー人である)はみんな真剣にスクリーンに見入っている。日本兵がコケにされると乗客は喜ぶ。こんなアウェイな状況はない 笑
日本人はほとんどミャンマーを侵略した歴史に頓着しない。(侵略というと怒る人もいるだろうけど)
一方でミャンマー人の心にはこの歴史が深く残っているのだ。

ミャンマーは大戦中の激戦地の一つであった。日本は開戦直後に英国を奇襲し、ラングーン(ヤンゴン)を陥落させた。ただ大戦末期には、連合国の補給路を断つことを目的とした「インパール作戦」に失敗し、結果としてミャンマーでは18万人の日本兵が命を落としたといわれている。

戦後に発表され、児童文学の傑作といわれる「ビルマの堅琴」には水島という兵隊が出てくる。彼はビルマ(ミャンマー)で終戦後、捕虜になるのだが、日本兵の遺骨が散在しているのを見て、慰霊に人生を捧げるために僧侶としてミャンマーで生きていくことを決める。
現在でもミャンマーには多くの遺骨が祖国に帰ることができずに残っているのだろう。先日、フィリピンでは8年ぶりに遺骨収集事業が再開されることが決まった。

アジア中に屍を残した戦争とはいったい何だったのだろう?

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