「I am a just poor boy」

ミャンマー西北部、ラカイン州の州都・シットウェから北に100キロ。バングラデシュとの国境にほど近い場所にロヒンギャ問題最大の争いが起こったマウンドーがあった。

シットウェからマウンドーへと続く道は固く閉ざされている。国際機関の職員を除いて、外国人が入ることは出来ない。

ここを見なければ、ロヒンギャ問題の実際を知ることは出来ないと思った。

ある朝、僕は決心して重い腰を上げた。バックパックから必要な荷物を抽出した。(カメラ、ノートブック、寝袋、少々の食糧、水等)

”南京虫ホステル”のロビーではオーナーである年老いた小男がテレビを見ていた。この男の頬には人生の辛苦を刻み込んだように、平行に皺が寄っている。男は一日の大体の時間をテレビの前で過ごしていた。見ているのはいつも「世界の格闘技」かなんかのアメリカ番組であった。K―1やキックボクシング、”相撲”も放映されていた。

「今日、チェックアウトします。カバンだけ数日間、置いていっても良いですか?」

「Yes」 を予期した質問だった。毎晩のようにロビーで一緒にテレビを見ていたので、なんとなく打ち解けたような気がしていた。小男から出た言葉は意外に思えた。

「ダメだ。そんなコトはやっていない」
「なんで? ここには長く泊まっているので信頼できるでしょう。ホテルの隅でも良いから置かせてください」
「ダメだ。」
意外なまでに強硬な態度だった。開いていると思っていた扉は、実は閉まっていた。
(なんでやねん。どこでも置けるところあるやんけ)

ホステルを出た。シャットアウトされたことがショックで、少し腹も立ってきた。そうすると南京虫を我慢したことや、現地人よりも高い宿泊料をせしめられていたことも思い出されてきた。溜飲を下げるために、ホステルの近くの行きつけになっていたジュース屋に入った。いつもの如く、この日もアボカドジュースを注文した。
出てきたアボカドジュースは熟れていなかったのか、青臭かった。熟れたアボカドのジュースは旨いのだが……

このジュース屋のおじさんは親切で、グラスの底が空になって、なお粘っていても頓着されなかった。外国人である僕とは言語上の隔たりがあるが、目が合うと微笑む。
ミャンマー人の特徴なのだろうか、我慢強くて実直そうな人がこの国には多かった。仏教徒であることも関係しているのだろう。
「カバン置かせてもらえないですか?」
ダメもとで頼んでみるとあっさり「良いよ。置いていきなさい」と柔和な笑顔を見せた。

AM9時。町の商店や飲食店のシャッターが上がる。僕はバイクを借りるためにレンタルショップを探し歩いた。レンタサイクルの店は多くあるのだが、バイクとなるとほとんどない。人を伝って、個人のバイクタクシーの運転手を紹介された。
「バイクを貸してもらえませんか?」
「どこまで行きたいんだ。乗せていってあげるよ」
「いえ、バイクをお借りしたいのです。僕が運転していきます」
もしマウンドーに行くことが出来れば数日間は滞在することになる。フレキシブルな行動のためには自分で運転していきたかった。運転手は考えるように黙り込んだあと、僕に尋ねた。
「ところで君はどこへ行きたいんだ?」
「マウンドーです」
そう言うと、運転手と周りの同業者が顔を見合わせて笑った。首を横に振りながらフレミングの法則をこめかみにあてた。
「君が死ぬと、僕のバイクは帰ってこないじゃないか」

他を当たってみたが、バイクを貸してくれるという人はいなかった。ある場所では中国人のところに連れて行かれた。僕のことを中国人だと思って、同胞に説得させようとしたらしい。なんと言っているのかは全く分からなかった。かくして僕はバイクによるマウンドー行きを諦めさせられた。

シットウェからマウンドーまではバスも出ていない。僕に残された「The Last Resort」は船だった。シットウェからブティダウンという町まで定期船が出ている。ブティダウンからマウンドーまではおよそ10キロ。そこまで行けばどうにかなるかもしれない。船の出港日は翌朝だった。
早速、僕は船のチケットを取りに町中にある船会社のオフィスを訪れた。
「ブティダウンまで行くチケットをください」
従業員は困惑の表情を浮かべてから言った。
「”Permission”はありますか?」
持っていなかった。外国人はやはり許可なしではシットウェよりも先に行けないのだ。

教えられた”Immigrattion Office”は郊外にあった。日本の田舎の小学校を思わせる建物に入ると、制服を着た審査官が気だるそう書類の山に目を通していた。大型ファンの扇風機がガタガタと震えていた。

「マウンドーに行くために許可を貰いに来ました」
僕が提示したパスポートとビザを奪うように手にとって、目を通した。
「NO」
これだけだった。一瞬にして突き返された。万策尽きる。

再び町に戻った。虚脱感が押し寄せてきて、路傍の石段に座り込んだ。打ちのめされた気がした。悔しかった。マウンドーに行けなかったことに対してではなかった。自分がしだいに断られることを予期して、「NO」を待っていたことに気づいたからだった。こんなにも近くに来て、なお怖かったのだ。自分が危険にさらされることが。
この旅は自分にとって試金石のようなものだった。そういう方向で生きていくためには、一線を超える勇気がいるだろう。自分の無鉄砲さも結局のところ、安全を担保された上でのものでしかなかった。
バンコクで会った日本人のMさんが教えてくれた「The Boxer」という言葉に象徴的な一文があった。
「I am just poor boy」
僕はPoor boy だった。自分の力とは結局のところ、そんなものだったのだ。打ちのめされて、頬には涙が流れた。喧騒とした町の中で僕だけがContrastの側にいた。
「The Boxer」が頭の中で流れた。

「旅を終わらせよう」
そう僕は決めた。

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