シットウェのロヒンギャ③

ロヒンギャの地域に挟まれるようにシットウェ大学があった。ムスリム地域を海に例えるならば、孤島のようにそびえ立っている。

日本の大学と変わらない、華やかなキャンパスライフが、東南アジア最大の人道危機に隣して存在していた。ただロヒンギャは大学で学ぶことはできない。

シットウェ大学に通う20歳の学生にそのことを尋ねた。

「ロヒンギャと一緒には学ばないの?」

彼の答えはこうだった。

「ロヒンギャは危険だから。仕方ないと思うよ」

嘆息しか出なかった。現状は厳しいのだ。仏教徒とロヒンギャの間には精神的にも懸隔があった。憎悪と危険意識がベルリンの壁のように高く。

かつてはロヒンギャも仏教徒も同じ学舎で学んでいた。ロヒンギャの村で会った40過ぎの男性は、大学在学中に学校を追い出されたという。

東西へと続く道をさらに進むと、10mほどの幅の川があった。訪れた時は乾季だったので、ほとんど水量はなかった。

橋は工事中だったので迂回して、速成の橋を使わなければならなかった。

「Made in Japan 」と、荷車を引く男が工事中の橋を指差して言った。日本のNGO が橋を作っているということなのだろうか?

真偽はわからないが、完成すれば雨季の豪雨にも流されない立派な橋になるだろう。

橋を渡った先にはロヒンギャの大きな町があった。マーケットまであって、そこには宝石店や飲食店が並んでいる。

報道のいう人口12万人は大袈裟だと思っていたが、この分では本当にそれ位の人が住んでいるのかもしれない。

マーケットを歩いていると後方から怒号を浴びせられた。言葉は理解出来ないが「出ていけ」という意味なのだと推測する。

声の方向を見ると、怒号を放った男の顔があった。僕と目が合うと男は途端に表情を和らげて言った。

「Sorry, you are foreigner 」

男は肌の色が薄い僕を仏教徒だと思ったのかもしれない。

道を歩いていると商店を営む1人の男性に呼び止められた。

「ジャーナリストか?」

「いいや。日本の学生だ」

「ちょっと休憩していけよ」と言って家の中に歓待してくれた。

それから男は「腹が減っていないか?」と、パンやソーダー水を出してくれた。

「なぜ、こんなにもてなしてくれるのだろう?」

怪訝に思っていると、男性は堰を切ったように話を始めた。政府によって弾圧され、苦しい生活を強いられていること。衝突で死んだ人のこと。

「昔は仏教徒もムスリムも一緒に暮らしていたんだ。なぜ、僕たちはいがみ合わなければならないんだ」

彼は「Why」を繰り返した。人間の争いやこの世の不幸の根源に彼は「Why」を投げているのだろう。

「日本人に僕たちの現状を伝えてくれ。日本政府がミャンマー政府にプレッシャーをかけてほしい」

「それは理想だけれど……」

ただの学生である僕にそんな力などない。目の前の男性が熱心に語れば語るほど、僕は自分の存在の矮小さに赤面する。

店を出てさらに奥へと進む。土埃の立つグラウンドでは子どもたちがサッカーボールを追いかけていた。

夕暮れが迫っている。夜になる前には帰らないといけない。ここで断念して帰ることにした。

帰り際、夜闇に紛れてミャンマー警察の施設を撮っているところを、見つかった。

「止まれ」という意味のことを叫んでいる。

逃げて発砲されるのは恐ろしいので、大人しく警告に従う。僕を囲んだ4人の警察官はいずれと若かった。

「カメラを見せろ」と半分、英語。半分、ミャンマー語で言ってくる。

「分からない。英語で言ってくれ」と強気で出てみる。5分ほど拒み続けていると、諦めたのか「行け」と追い払われた。

翌日、もう一度、ロヒンギャの地域へ入ろうとした。前日と同じように、検問所を自転車で渡ろうとすると、止められた。

「ここは入れない地域だ」

ロヒンギャ地域は再び「Restricted Area」になってしまった。

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