生まれ出づる苦しみ

ミャウーでは3日間過ごした。パゴダ(仏塔)が立ち並ぶ美しい古都に後ろ髪を引かれるような気持ちもあったが、次の目的地・シットウェへと向かうことにした。

ラカイン州の州都・シットウェ。この町には12万人のロヒンギャがいると報道されていた。

ミャウーからシットウェまでは船かバスである。ホステルのオーナーである親切なおじさんに聞くと「明朝、定期船が出るからそれに乗れば良い」と教えてくれた。

おじさんも明日の船でシットウェに向かうそうだった。

「起こしてあげるから一緒に行こう❗」というので、安心して床に着いた。

翌朝、起きると船の出る20分前だった。ホテル横の雑貨屋の軒先に座る女性におじさんのコトを尋ねると「朝早くに出ていった」という。

「なんでやねん」と毒づきながら、僕は急いで荷物を作り、ホテルを出た。往来で自転車タクシーを拾い、港まで向かった。

自転車を漕ぐのは老人だった。なので、ものすごく遅い。おまけに渋滞にはまってしまった。細い道で前方のトゥクトゥクが泥沼にはまりこんでしまったのだった。

業を煮やした僕は1000チャット(80円ほど)を払い、走って港へと向かった。

港に着いたころには出港時間を5分過ぎていた。船はボラードにかかっていた縄を外し、岸壁から離れようとしていた。

僕は動いている船に飛び乗った。乗務員は少し僕を非難するような目をした。

船賃は22000チャット(1800円ほど)と高め。実はファストボートとスローボートの二種類があって、ファストはスローの倍の価格だった。僕が乗ってしまったのはファストボートだった。

船室は満員で座ることが出来ずに甲板に出た。ファストボートというだけあってかなりのスピードで走っていた。風が頬に打ちつけた。

バックパッカーのバイブルである沢木耕太郎の「深夜特急」に船の上でのシーンがあった。主人公が船上で気持ちのよい風を浴びる。その時、隣にいた英国人が言葉を発した。「Breeze is nice」

シンプルな言葉であるが、主人公は、自分たちの心情を良く表現していて「うまいなぁ」と思うのだった。

ただファストボートでは風は「too much strong 」である。

こんな時、フランス人のエティーン君が一緒ならどう表現していただろう?

哲学者の千葉雅也が「勉強の哲学」という本の中で「言語に対しての懐疑」(この言葉で合っているか分からないけど)を書いていた。世界を構成する基本単位である言葉。僕たちはどれだけ物質それ自体に触れようとしても、言葉なしでは世界を認識できない。

僕はこの旅で言語が変われば、見る世界も変わるのだと知った。エティーン君はフランス人的な感性で、世界をどんな風に見ているのだろう?

船の後部にはトイレがあった。穴があって、下は水面だった。便は直接、川に流れる。魚が便を食べる。便を食べた魚を人間が食べて、再び便をする。食物循環だ。

船は4時間ほどでシットウェに着いた。タラップを渡ると、トゥクトゥクの運転手の猛烈な客引きにあった。道の両サイドに20台以上のトゥクトゥクが並んでいる。

その中の一台の乗り合いトゥクトゥクに乗った。

「この町で一番、安い宿で下ろしてください」

トゥクトゥクは町へ向かう。シットウェはラカイン州の州都であるが、規模としてはそんなに大きくない。

トゥクトゥクは「プリンスホテル」の前で停まった。この旅で何度目のプリンスホテルだろう? 名前だけは立派だが、外装はかなり不安である。

小さな老婆がロビーでマガジンを読んでいた。

「部屋ありますか? 一泊なんぼです?」

「あるよ。10500チャット(840円)」

部屋を見せてもらった。シングルルームだけれど、壁は汚れていて、ベットの木枠は古い。蚊帳も破れている。

「ローカルプライスはいくらなの?」と尋ねると「5500チャット(440円)」と意外にもあっさり教えてくれた。

「ほな、ローカルプライスにしてや」と僕は交渉を30分ほど続け、最終的に7000チャット(560円)になった。

その夜だった。ベットに寝転ぶと、そこに虫がいるのを見つけた。東南アジアのホテルでは、虫くらい珍しくない。

ティッシュペーパーでつまんで驚いた。それが噂に聞く「南京虫」だったから。南京虫、別名「トコジラミ」。英語だと「Bed bug」

英語名の通り、ベットに現れる虫で人間を吸血する。光が苦手なので、消灯し寝静まった後に、壁の隙間などから出没する。1匹に吸血されると、血の臭いで仲間も集まってくる。起きると、蜂の巣にされている。噛まれたところは、赤く腫れ上がり、その痒さは蚊の比ではない。気の狂うほどの苦しみを伴う。

色々なところで南京虫については注意を受けていた。それに遭遇した僕は震え上がった。

ベットの上に5匹も南京虫がいた。蚊帳を下げると、さらに南京虫が降ってきた。部屋の壁や椅子を注意して見ると、南京虫の糞があった。

「どうしよう、どうしよう」

夏目漱石は「坑夫」の中で南京虫に噛まれる苦しみをこう表現している。

いても立ってもと云うのは喩えだが、そのいても立ってもを、実際に経験したのはこの時である

結局、僕は朝まで寝られなかった。その引き換えに命を得たのだから、賢明な判断である。

翌朝、さっそく宿の老婆に文句を言いにいった。

「南京虫、えげつないほどおるやんけ。どないやねん」

老婆は笑った。笑われるとあまり真剣には怒れない。戸棚から薬を出して、部屋に撒いた。それから掃除をして、シーツを変えてくれた。それで僕と南京虫との戦争は終戦した。

「シットウェのロヒンギャ」

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/05/24/シットウェのロヒンギャ/?preview=true

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