「寂寥感とバックパックを抱きしめて」

~あらすじ~

タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと旅を続けて来た僕は再び、タイに戻った。タイ北部の美しい街・チェンマイで、ミャンマーへのビザ発給を待つのであった。

僕がミャンマービザを申請したのは木曜日だった。土日が休業日なので、週明けに発給されるだろうと考えていた。

ところが存外にも早く、金曜日の夜にビザが下りた。しばらくチェンマイで休む予定であったし、この街にまだ心残りもあったが日曜日に出発することにした。

タイとミャンマーの陸路国境は3つあった。その中で一番、ベーシックなのがタイ北西部・メソートからミャンマー側の町・ミャワディーに入る方法だった。

この国境からなら、ミャンマー第一の都市・ヤンゴンへ行くのも容易である。僕もこの方法を選択した。

日曜の昼、バックパックを積めていると、宿泊している日本人が出てきてくれた。

「おっ出発するのかい。気をつけてな」

握手をしてバスターミナルへ向かうトゥクトゥクに乗った。

トゥクトゥクは快調に飛ばしていたが、途中で渋滞に引っ掛かった。バスターミナルへ着いた時には出発時間を過ぎていた。

37番ホームにはバスが停まっていなかった。しっかりと別れを告げてきた手前、あの宿には帰ることができないなと考えた。

「何分前にメソート行きのバスが出たのですか?」

そう係員に尋ねると、彼女は困惑の表情を浮かべた。

「まだ出発していませんが……」

僕のバスは遅延して、まだバスターミナルにすら着いていなかったのだ。

一安心した。バスは無事、45分遅れで出発した。

「もしかして日本人ですか?」

バスが動き始めた瞬間に隣の乗客から話しかけられて驚いた。

「ええ、そうですが」

思いがけず日本人と遭遇した。話していると、前の席からもヒョロリと2つの顔が出てきた。

3人は早稲田の3回生だった。大学で建築学を専攻していて、フィールドワークとして東南アジアで2週間の旅行をしているのだった。

熱心な学生でバスの中でも、建築学についての本を読んでいた。さすが「早稲田」の学生である。

僕は持っていた通俗小説をしまって、代わりに洋書を取り出した。まったく内容は理解できないが、分かるような顔をして読んだ。「立命館」の威信を保つためである。案の定、すぐ眠りに落ちた。

起きてからはその人たちと話をした。

「アンコールの特徴はね……」

スケッチや写真を見せながら、建築様式の説明をしてくれた。そんな話を僕にされてもお門違いである。

分かるような顔をして聞いていた。これもまた立命館の威信を保つためである。

ただ彼らを羨ましいとも思った。僕などは建物を見て、それで終わりである。他方、彼らは「これは12世紀の建物だから」とか「何とか系の傍流だから」などという見方で楽しむことができるのである。

僕はそういった感性や想像力が希薄である。

国境までは遠い。だんだんと陽も暮れてくる。バスはしだいに山道へと向かっていく。道は整備されているが、カーブが続き、山は深くなる。国道沿いは山肌が露出していて草木が低い。

あちらこちらで「野火」が上がっていた。人影はまったく見えない山中である。野焼きか山火事かは判別がつかない。

レイテ戦を描いた大岡昇平の小説「野火」。部隊を放擲された主人公の田村は飢えに苦しみ、仲間の肉を食うかという極限状態に陥る。

人間と野獣のはざまで揺れながら遁走する最中、敵が上げたのか、誰が上げたのか分からない野火に恐れを抱く。

70年の後、タイで野火を見る僕にも色々な感情が去来した。

その時の僕にとって、野火は人間のはかなさを表していた。今もどこかで人為的な力によって消えていく命。見過ごされていく命。

旅は僕を感傷的にしたようだ。

ミャンマーへと行く目的はロヒンギャに会うことだった。ミャンマー人の大部分は仏教徒である。その中において、ミャンマー北西部・ラカイン州に住み、イスラム教を信仰する人がいる。その自称がロヒンギャなのである。ミャンマー政府はロヒンギャをバングラデシュから来た不法移民だとして迫害している。

国境なき医師団によると、迫害によって少なくとも6700人が殺害され、70万人近くが隣国のバングラデシュへと避難している。

「ロヒンギャ問題」についての知識は、朝日新聞の、11面くらいにある国際欄から得たモノだけだった。新聞やテレビから伝えられるニュースからは、人を見ることも空気を感じることもできない。

活字の先にある、流動する世界を自分の目で見たかった。

本当にロヒンギャに会えるのか、それさえ分からずにミャンマーに向かっていた。

午後8時、バスはメソートに着いた。予想していたよりもかなり繁華な街だった。3人は予約していた宿に行くという。

「君も来たら良いじゃないか」 と言ってくれた。

値段を聞くと、ドミトリーで一人500パーツ(1700円ほど)だと言っていた。

それを聞いた時の表情で、彼らは僕がどんな貧乏旅行を続けているのか悟ったのであろう。それ以上、強くは勧めなかった。記念写真を撮って別れを告げた。

バックパックをベンチに下ろし、寝袋を広げた。

「前もバスターミナルで寝たことがあったな」

あれはY君と別れた、メコンデルタにあるカントーという町であった。その時と今ではだいぶ心境に変化もある。

10時になると、ターミナルの電気が消え、シャッターが閉められた。追い出されるかと思ったが、許容してくれるようだった。

小さな明かりが遠くでユラユラと揺れて、Fly bagがそこに集まっていた。野犬がどこかで叫んでいた。

僕は寂寥感とバックパックを抱きしめて眠りについた。

第17話「一路、ビルマへ」

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/04/29/一路、ビルマへ/?preview=true

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