「チェンマイでの休息」

チェンマイは暑かった。気温は連日、30度を超えた。この暑さにかまけて、僕の神経も弛緩してしまった。何をするのでもなく、ダラダラと過ごした。もっとも、ここまでが刺激続きだったので良い休養にもなった。

次の目的地はミャンマーであった。ビザが必要であったので50ドルというバカ高い申請料を払って、スマホからE―VISAを申請した。木曜日に申請したので、土日の休業日を挟んで、週明けにでもビザが下りるだろう。ビザが下りるまではチェンマイで足止めである。この必然的な休養を僕は喜んだ。

休養ついでに観光もした。中心部にターぺー門という城壁が残っている。

この門の由来について英文のモニュメントがとうとうと述べていたが、誰もそんなモノは気にしない。歴史的な由来など関係のない鳩が名物となっていた。次々に鳩の目銭が餌売りのおじさんの元にいく。

平和な光景である。

「Imagine all the people Living life in peace」

ギターを持ったおじさんが「Imagin 」を歌っていた。しばらく聴いていた。おじさんは平和の使者なのかもしれない。もっともチップを入れるギターケースは空であったが。

他にも街中には嫌というほど寺があった。どれも金ピカであったが、僕にそのような趣味は無いので、見ていても何が良いか分からなかった。

ただある寺で若い女性がひたすらに仏像に向かって礼拝をする姿には胸を打たれた。この国では仏教が生活の中に強く根ざしているのだと思った。

寺から出る時に敷居を踏んだことを欧州人に非難された。咄嗟のことでボンヤリとしていた。

宿は郊外にあったので静かだった。1泊80パーツ(250円)で食べ放題の朝食が付いていた。朝昼食を兼ねてブランチとしていた。1日500円で十分、生活が出来る。
宿は価格に比例するわけではない。実際に僕がチェンマイで泊まったホステルは上記の値段であったが、この旅の中でも屈指の宿だった。
日本人が一人、停滞していた。既に1ヶ月、宿泊していてこの先も2か月、この宿にいるのだという。
「泊まるというよりは住むだね」と彼は笑っていた。日本語を話すのが久しぶりだったので、自分の言葉を話せることが嬉しかった。彼もこの宿で初めて会った日本人が僕だという。
35歳だといっていた。チェンマイに来る前はビエンチャンに、その前は台湾にいたという。もう長い間、一か所にとどまらない流浪の生活を続けているという。
ただ彼には、そういう生活を続けている人、特有の倦怠的な雰囲気はなかった。
「僕の目が死んだなら、その時は旅を終えるべきだと思うよ」と言っていた。

「どうしてそんな生活が続くんですか?」と聞くと「貯金があるのさ」と返された。高校卒業から様々な職を経てきた。土地転がしや電子機器の営業など、その数は100を越えるという。

未公開株詐欺に合い、1000万騙されたこともあったという。10年経った後に弁護士が取り返したお金で生活しているという。

不思議な人だった。形容に困るが、僕とは全く異なった性質を持つ人であった。

そのことを伝えると「君もだいぶ変わっているけどね」と言われた。

「占い師をしていたから分かるんだけど」

「インチキやないんですか?」

「けっこう当たるのよ。その人の持つ雰囲気とかで分かってしまうんだよね」

「ホンマかいな」

僕は変わっているらしい。自分ではそう思わない。周囲に棹さし至極、まっとうに生きてきたと思う。

「君はどうして旅をしているんだい?」

彼は僕に尋ねた。バンコクで会ったMさんからもメールでその問いをたびたび受けていた。

「若く柔らかい僕の感性を外界の刺激にさらして、それでどうなるのかを知りたいのです」と僕は答えていた。

果たしてそれだけであろうか?

第16話 「寂寥感とバックパックを抱き締めて」

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/04/27/寂寥感とバックパックを抱きしめて/?preview=true

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中