国境で引き裂かれる二人

僕たちは一人50万ドン(2500円ほど)を支払って、ベトナム・サパからラオス北東部の町・Muang Khuaへのチケットを受け取った。17時間の越境バスの旅である。

夕方6時にバスは出発した。1500メートルの地にあるサパからのバスである。過酷な山道が続く。乗客を揺りかごの赤ん坊の如く揺らし、スリーピングシートから振り落とす。枕は座布団で固く、眠れない。

ようやくウトウトしてきた早朝3時。叩き起こされライトバンに乗り換えた。ライトバンの運転手に10万ドン札が手渡されていた。タイで会った日本人の表現を借りると、僕たちは「売られた」のである。

インドシナ戦争でベトナムとフランスが砲火を交えた古戦場を横目に見ながら、バスは行く。

ベトナムとラオスの国境

8時ころ、ラオスとの国境に着いた。僕はビザ無しでは最大の滞在期間である15日間、ベトナムに滞在していた。この日中に出国しないと罰金を支払うことになる。出国スタンプを押してもらってホッとしていると、パスポートを抱えたエティーン君が呆然と立っていた。

エティーン君の目線の先には一枚の張り紙があった。

「Eビザで入国した人はこの国境からは出国できません」

彼はEビザを所得していた。管理官に50USドルを渡して、賄賂を図るが、管理官は首を縦に振らなかった。

450キロ先の国境に行けという。僕とエティーン君は国境で引き裂かれてしまった。ルオンパパーンでの再会を約束して、僕はベトナムの出国ゲートを越えた。

睡眠不足に悪路が重なって車酔いになる。後ろの席で西洋人がはしゃぐ声を聞きながら、外界をシャットダウンする。一人の女性が苦しむ横顔にオレンジを差し出してくれた。

マンダリンオレンジ。みかん。日本の味。

11時半にMuang Khuaに着いた。外国人が次の町への接続で使うだけの小さく美しい町だった。オランダ人二人組と一緒に部屋を借りた。

翌朝、オランダ人に別れを告げてボート乗り場へ行く。着いて驚いた。そこにあったのは想像していたよりもはるかに小さな20人乗りボートだった。

ボート乗り場で

21世紀にもなって、こんなボートが交通機関として存在しているとは思っていなかった。

険しい山肌を沿うようにボートは進む。波を切り、水が立つ。自然の景美に目を奪われる。思い出すのは高校の修学旅行で行ったベトナムのハロン湾だった。

6時間かけて下流の町へ行く。フランス人のカップルと一緒にトゥクトゥクをチャーターしてルオンパパーンへのバスが出る町へ向かう。

二人は24歳の大学生。卒業を控えて8ヶ月の旅に出ているという。

「6月には日本へ行くのよ。その季節の日本は暑い? 寒い?」

女性の方が僕に尋ねた。

「うーん……雨だね」

「日本っていえば、ゲイシャとフジヤマでしょう」

「……そだね」

彼らはきっと凄まじいカルチャーショックを受けるだろう。

ルアンパパーンに着く頃には日が暮れていた。ゲストハウスではエティーン君が待っていた。国境を越えられなかったエティーン君はヒッチハイクとバスでハノイまで戻った。そこからルアンパパーンまで飛行機で来ていた。

再会を祝して、その夜はまたビール缶で乾杯した。二人での旅はまだ続く。

第12話「ルアンパバ-ンの黄昏」

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/04/06/ルアンパバーンの黄昏/?preview=true

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国境で引き裂かれる二人」への1件のフィードバック

  1. エティーン君に再会できて本当に良かったですね。
    4月上旬に帰国でしたよね。日本の今年の桜は早いですよ。もう東京は満開です。
    もうすぐ帰国ですね。ご家族も元気なお顔を見るのを楽しみにしていらっしゃると思うので
    体調管理、怪我、事故などくれぐれも気をつけてくださいね。
    ご無事のお帰りを祈念しています。
    残りの旅楽しんで下さい。

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