暁の寺

バンコクの三大寺院といえば、「ワットプラケオ」「ワットポー」「ワットアルン」である。

せっかくバンコクに来たのだから、この3つは最低でも見ておかなければならない。

これらはほとんど1つの場所に密集している。

「ワットプラケオ」や「ワットポー」は入場料をケチって、外から眺めた。壮大な寺であったが、信仰の場というよりは観光地だった、日本の東大寺のような感じがした。

「ワットアルン」までは渡り船で向かった。一人4パーツ。対岸からも尖塔が見える。白壁が、陽の光を反射して光っている。

塔は段々になっていて、途中まで上ることができた。雄大であるが、装飾の美は細にまで施されていて繊細だった。異国の寺であるが、どこか懐かしく離れがたい気持ちにさせられた。

ワットアルンの別名は「暁の寺」である。三島由紀夫は1970年に「豊穣の海」の第3巻として、同名の小説を発表した。題名の元になったのは他でもないワットアルンだ。

この作品を書いた年、三島は自ら命を絶った。東京・市ヶ谷にある自衛隊基地に突入してのことだった。暁の寺に続く、豊穣の海の第四巻が三島の遺作となった。

彼は豊穣の海を書き始める時にはすでに、これを遺作にするということを決めていたのだろう。集大成として、作品の装丁までをこだわりぬいた。黒箱には作品を象徴する動物が描かれている。僕が梅田のかっぱ横丁で豊穣の海を手に取ったきっかけも装丁の美しさだった。

シリーズ全体を貫いている1つのテーマは仏教的な価値観から来る輪廻転生である。もっとも輪廻転生という考えは東洋独自のものではないようだ。西洋でも古くは古代ギリシアの時代から、ピュタコラスやソクラテスは輪廻転生を考えていた。ただソクラテスなどは魂の保護による転生からの解脱を説いていて、輪廻転生については批判的だったようだ。

僕は法学部なので、哲学や宗教については分からない。専門書を読んだり、文学部の講義にもぐりこんでも、中々、容易には理解出来ない。それでもときどき考える。

「人は死んだらどうなるんだろうか?」

宗教的な信仰心に薄い僕は、あんまり真剣に輪廻転生を信じることは出来ない。人は肉体が滅びれば魂も滅びると思う。もし生が繰り返されるのであれば、相対的に生が軽くなるのではないか。

だからこそ一度きりの生を懸命に生きなければならない。自分の人生を証明するのは自分自身の行いである。

第5話 「サメットの休日」

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/02/15/サメットの休日/?preview=true

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