サメットの休日

バンコクは魅力的な街だった。

それでも僕たちは次の街へ向かわなければならなかった。そうしなければ僕たちの旅はバンコクで終わってしまう。

次なる目的地はサメット島だった。

バンコクから東へ5時間。バスとボートを乗り継いでサメット島に到着した。

「青い空の元、白い砂浜でゆっくりと」

そう思っていたのだが、サメット島にはかなりの数の観光客がいた。ただ他のタイ国内の観光地のように外国人しかいないということはなかった。タイの人も休暇を利用して来るような島だった。

実際にビーチで仲良くなった人はタイ北東部のラオスに近い町から、病院職員の慰安旅行で来ていた。

2日目はバイクで島の奥地まで探検した。この国ではバイクに乗るのに免許もヘルメットも必要ないのだろうか、小学校に上がったくらいの子供が中型バイクを運転していた。

奥地へ行けばいくほど、静かな海が広がっていた。白波に揺られながら、ゆったりとした時の流れを感じた。疲れて浜辺に寝転ぶと、南国の生暖かい風が火照った体を冷ました。

ポーズを取るY君

島のもっとも奥、「Sun set point 」と書かれた場所で日没を待った。

日没を望む「view point 」

石が何段にも積まれていたが、宗教的な意味があるわけではないのだろう。

空は曇っていて日没を見ることは出来なかった。

夜、浜辺でたそがれているとファイヤーダンスが始まった。全身を使って、火の点いた棒を回す。中々の迫力があった。

サメットには3日間、滞在した。

島を離れる直前、一人の韓国人男性と知り合った。役者をしていると言って自分が出ている映画をyoutubeで僕に見せた。コーヒーを飲みながら、日韓問題などを話した。彼の祖父母は日本に連れてこられて安い賃金で働かされたと言っていた。

今でも韓国人の間には日本に対する潜在的な恐怖があるのだと。

日本はかつて多くの国を支配した。南方にも大東亜共栄圏建設の名目で、資源を求めて進出した。タイも次に訪れることになるカンボジアも、先の戦争中は日本軍の支配下にあった。

日本人が忘れていてもその事実は揺るぐことなく存在する。支配された国の目線に立つと日本は今でも恐怖の対象なのかもしれない。

昨日、安部首相は国会で「専守防衛は戦略的に厳しい」と答弁したそうだ。

北朝鮮問題を念頭に入れての発言と思われるが、先制攻撃さえ辞さないというのであれば、この発言には多大なる危険性が含まれているのではないか。

キング牧師はベトナム戦争の際に、相手国の立場に立って物事を考える必要性を説いた。日本も今一度、他国の立場に立って冷静に外交問題を考えるべきではないだろうか?

19歳の僕たちには先の戦争の直接的な責任はない。それでも自分たちと連続性を持ってつながる、かつての日本人が犯した行為を考える責任はあるであろう。

韓国人の役者との再開を誓って、僕たちはサメット島を出発した。

第6話 「Beyond border」

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/02/16/beyond-border/?preview=true

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