ただ春の夜の夢の如し

松島を出た僕は石巻へと向かった。震災の跡がどうなっているのかを見たかった。ひたすらに海岸沿いを走っていく。石巻で浜に行こうと思ったのだが、柵があって海には近づけない。柵の中へと続く道にはトラックの列が。防波堤と新しい道路を作っているのだった。
石巻の町中で震災を感じることができるのは地元の子供たちが作ったボードと町のあちこちで見かける「復興」の文字だけだった。
瓦礫などは六年半も経てば当然かもしれないが、キレイに片付けられていて、海沿いも新しく建てられた家々が並んでいた。ただ何故だろうこの町からは活気というのだろうか、そういうものが感じられなかった。僕の邪推かもしれない。けれど、いくら町がキレイになったとしても人々の心の中に残された傷は深いのだろう。
震災によって亡くなった人、残された人。こういう表現をよく聞くが、その「残された人」もまた震災のその後という生き方を強いられているのだと感じた。
石巻を出てから僕は北上川の源流を辿るようにして山中へと入った。陽に映える緑は目に鮮やかで、恍惚とした意識の中で自転車を漕いでいた。国道の途中に「奥の細道」で芭蕉が辿ったルートマップがあった。見ると僕が辿っている道と芭蕉の辿った道が重複していた。芭蕉もここを通ったのだと思うと嬉しくなった。一関の古本屋で「奥の細道」を買った。それから平泉にある中尊寺に行った。四代で滅んだ奥州藤原氏の栄華の跡。金色堂は入場料が800円だったので逡巡したが、せっかくなので入ることにした。仏像を取り囲む金色のお堂は豪華絢爛にして武士的な趣味を感じさせながらも、堂内で定印を組む阿弥陀如来像とそれを取り囲む観音菩薩、勢至菩薩、諸々の仏像の細にまで美が施されていた。
中尊寺を出てからは義経が自刃した義経堂に向かった。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
芭蕉がこの句を詠んだ場所である。奥州藤原氏が描いた短い夢の残骸と義経の悲哀に満ちた人生に思いを馳せたのであろう。人の命とは考えてみるとあまりに短い。
「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりに短い」
山月記の中にある一文である。僕はその短い人生の中で何を残せるだろうか。

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