「Hello, Goodbye」

坂を下るスポーツカーの轟音に続いて地面とタイヤのすれる音が聞こえた。走り屋にとって公園のそばの山岳道路はかっこうの練習場なのであろう。さっきから何台もこの場所を行き来している。
僕は再び眠るのを諦めて公園の固いベンチに座り直した。腹が減ったので鞄から梨を取り出す。昼間に利府の直売所で買った梨だった。1つ200円で販売されていたのに、オバチャンは100円で3つもくれた。
「津波で家がなくなったんよ。」
オバチャンはポツリポツリと震災の体験を話してくれた。利府の家はオバチャンの実家で住んでいるのは海沿いの町だったそうだ。震災が起きた時、オバチャンは実家から海沿いの町へと帰る車中にいた。揺れがおさまった後、家に帰るとモノが散乱していた。大事なものだけ持って車で高台に逃げたんだと。それからが辛かったそうだ。東北の三月は寒い。スーパーマーケットには開店前から長蛇の列。その時に値段を不当に上げたスーパーは今でも良く思われていないそうだ。
昼間の会話を思い出しながら梨を食べていると公園の入り口から複数の灯りが近づいてきた。ヤンキーやったら嫌やなと思ったが、近づいてきたのは5台の自転車だった。全員が福岡教育大の4回生だった。北海道の新千歳空港から福岡まで自転車で横断しているのだと。京都から北を目指す僕とは真逆のルートをとっている。
松島が一望できるこの公園には日の出を見にきたのだと。僕が眠る東屋の近くにテントを張っていった。5人で旅をするのは大変なこともあるだろうけど、やはり楽しいだろう。
寝巻きも持たない僕はダウンジャケットを着て再びベンチに横になった。
目を覚まして時計を見るとあれから二時間しか経っていなかった。海から吹きつける風は冷たく、僕の体を震えあがらせた。
歩いて体を温める。公衆トイレがあったのでそこで眠ろうとした。駐車場にはスポーツカーが停まっていて、公衆トイレの前にも数人がたむろしていた。僕は構わずトイレに入る。鋭い目が奇異なモノを睨みつけるが、そんなことよりも寒いのだから仕方がない。
確かにトイレの中は暖かかった。けれど20分もすると腰が痛くなった。またベンチに戻って横になる。30分もすれば寒くて目を覚ます。またトイレへ行く。そういうことを幾度か繰り返してベンチに戻った時、僕の荷物のそばに人がいた。誰かが倒れているのじゃないかと心配して来てくれたらしい。仙台からドライブに来た若いカップルだった。去り際に三本、ジュースが入った袋をくれた。
こういう短い睡眠の内に僕は何回か夢を見た。内容は起きてしまうと忘却していた。ただ夢を見たということだけ記憶していた。一晩がものすごく長く感じられた。
ようやく空が白々と明けてきた。福岡教育大の5人と一緒に展望広場で日の出を待った。
東雲がだんだんと紅く染まってきた。5時15分過ぎに雲の間から満月のように丸い太陽が顔を覗かせた。一同は嘆声をあげた。

松島

日本三景の一つに数えられる松島と日の出のタイアップがとてつもない自然の姿を僕たちに見せてくれた。
空はすっかり明るくなった。僕たちは出発しなければならなかった。それぞれ方向は逆だった。京都の僕の下宿で再会することを誓って、彼らは南に僕は北に向かった。

福岡教育大学

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