伊豆の踊子

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠が近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた」
有名な川端康成の「伊豆の踊り子」の序文である。この景色を見るために伊豆から下田へと旅をした。修善寺が起点である。
夏目漱石が大患で苦しんだこの地から伊豆へと向かう道は多くの文人が小説の地に選んだところである。駅でもらったパンフレットには横光利一が誤って横山利一とあった。
修善寺を出発して伊豆半島を南下する県道を行く。山の中でもうっすらと塩の臭いがする。やはり海が近いのだ。

伊豆 滝

浄練の滝というところは名所になっていて中国から来た観光客がバスからゾロゾロと出てきた。
踊り子道と名付けられた小道の両端には杉の密林が生えていて壮観である。いよいよ天城峠に近づいたころ道はつづら折りになっていく。
旧道に入ると、土の塗装されていないでこぼこ道になる。目の前に母鹿と小鹿二匹が通った。忽然にして、レンガ造りのトンネルが現れた。難所の天城超えを解決すべく1900年に作られた天城トンネルである。

伊豆 トンネル

川端康成が「伊豆の踊り子」で描いて以来、このトンネルは作品の聖地として多くの若者が訪れてきた。今は新しいトンネルに役割を取って替えられて実用的な意味は無くなったが、それでも時たま踊り子に会うために人々が訪れる。
トンネルの内部は一般のトンネルにあるような照明ではなく、豆電球が10メートル間隔くらいに据えられていた。
100年以上前からこの姿であるのだろう。川端康成も通ったのだ。青年も踊り子も。そして「伊豆の踊り子」を読んだ多くの若者も。当時、この作品は学生のバイブルだった。青年が無垢な踊り子と出会うことによって、自意識や孤児根性という心の梯を下ろしていく。その過程を無駄なく美しくたった数十ページの短い小説に凝縮する。
将来への漠然とした希望を抱きながら、未来を無条件に明るいモノだと信じることのできる、そういう年代の若者が幾人もこのトンネルを通っただろう。その中には思いを遂げることが出来たものもあろう。夢半ばにして倒れたものもあろう。そういう運命の全てが450メートルの短いトンネルの内に交錯するという観念が心を包んだ。
トンネルを抜けるとそういう観念は心から去っていった。トンネルは過去と現在を繋ぐ魔境だったのかもしれない。
国道に合流して山を下っていく。下田は山と海にサンドイッチされたような町だった。小高い丘にある公園からは町が一望できる。港には漁船が横一列に並ぶ。
ペリーが来航し、開港された場所が下田だった。開国から160年余り経った今。協調主義と排外主義という大きな2つのうねりが日本、いや世界を取り囲んでいる。いや、もしかするとこの2つを対義的に見ることさえ誤っているのかもしれない。政治的なことを書くつもりはない。それでも下田でこんなことを考えていた。

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