走れメロス、いや俺

ほとばしる血潮が全身を激流するのを感じながら僕はペダルを力強く踏み込んだ。
ここからおよそ15キロ坂道を登り、一気に標高1000メートルまで上がる。
あと一時間半の内に河口湖へ着かなければならなかった。河口湖までは30キロ。ほとんど間に合う打算が無かったが、それでも僕は行かなければならなかった。
その日は松本を昼前に出た。そして富士山の麓にある河口湖まで行く予定であった。松本から甲府までは下り道が続いた。空はよく晴れていて、僕の心も朗らかであった。
諏訪湖のほとりに位置する岡谷という街は駅前に商業施設などがあって発展していたが、それと同時に四方の山からは緑が降り注ぐ。

諏訪湖

長野と山梨の境にある橋からは一本の滝が見えた。「日本のナイアガラよ」と東京から夫と訪れたという老婦人は教えてくれた。

日本のナイアガラ

甲府の手前にある韮崎という町に入った。ここでも相変わらず下り道が続いた。漕がすにただ乗っているだけで良かったのだがさすがに疲れてきた。国道沿いの公園から金属バットがボールを弾く音が聞こえた。四人の少年がノックをしていた。ベンチに座ってそれを眺めている内に眠たくなってきた。
「ガチャン」という音で目が覚めた。うつらうつらする意識の中で自分が存外、長い時間眠っていたことに気がついた。隣のベンチに一人の青年が腰かけていた。地元の高校の三年生だった。バイト前にここで時間を潰しているのだと。
「良い公園でしょう」
確かに良い公園であった。広すぎず狭すぎず、人気もそれほどなかった。
「時々、こうやって佇んでいるのです」
その気持ちがよく分かった。
「もう夏休みは終わったの?」
「はい。とっくに」
「学生生活最後の夏休みだったんですけどね」
彼は高校卒業後、就職するのだった。一年前の自分を顧みた。僕の中には高校の延長線に大学があって、社会とはまだまだ遠いものだった。今でもそういう気分で、だからこそ酔狂のような旅ができるのであった。
「卒業までに彼女が欲しいな」
彼はそう呟いた。
河口湖で泊まる宿が決まっていなかった。調べてみると河口湖は小さな町で、ネットカフェなどは無かった。一軒、ゲストハウスがあったのでそこに電話をかけてみた。
2部屋、空きがあるということだった。ただ20時が最終チェックインでその時間に間に合わせる必要があった。今は17時前。急いでも間に合うかは微妙であった。それでも青年に別れを告げて僕は出発した。甲府と河口湖の間には峠があった。そのために出来るだけ平地で貯金を作ろうと急いだ。
かなり良いペースで甲府の街に入った。
「これなら間に合う」と確信していた。その時、自転車が道路上の段差に乗り上げてしまった。万事休す。両輪ともパンクしてしまった。これを修理し再スタートする。大幅なロスタイムとなった。間に合うかは絶望的だった。それでも進まなければならなかった。今日の宿がかかっていた。
ひたすら続く登坂を漕いでいく。そこには箱根駅伝の5区に勝るとも劣らない感動があったはずなのだが、残念ながらそれを見てくれる人はいない。腹痛が僕を襲う。トイレに寄る時間などない。正露丸を飲む。ロシアを征服せんがために作られたこの薬に峠を征服せんという気持ちを込める。行けど行けども坂である。道路上の気温計は15℃を指していた。1つのモニュメントがあった。それは言う。徳川家と北条家がこの地で戦を行い、北条は破れ、その約2670人の屍がここらあたりに埋められたのだと。
余り聞きたくないことを聞いてしまった。遠い山では獣が鳴いていた。パサパサと鳥が木々を揺らした。
さて間に合ったのか。
結果は間に合わなかった。河口湖のはるか手前でタイムリミットとなった。

 

幸運なことにその日はカプセルホテルを見つけることができた。

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