さらば日本海

雨の打ち付ける音で目が覚めた。
あわてて滑り台を降り、公園内の東屋にかけこんだ。
時刻は丑三つ時をまわったところだった。それから雨は断続的に降り続いた。一時間ほどすると完全に雨は上がり空には星が戻った。
この夜は糸魚川から35キロ手前にある田舎町の公園で夜を過ごしていた。滑り台とジャングルジムが複合された遊具の上で。
4時前に公園を出た。
国道を一路、北に向かう。富山から新潟に入ると、トラックの数が一気に増した。
富山、上越、長岡、新潟。日本海沿いの地名のナンバープレートが追い越していく。
親不知という道に差し掛かったころ、左手に眺望が展けた。
一団の群れになって岸壁へと襲いかかる白波。それが打ち付ける度に上がる白鯨のごとき水しぶき。有明の空は紅く、海を染める。
「あぁ日本海だ」
僕の目の前には日本海があった。
断崖絶壁にそびえたつ親不知はかつて北陸道最大の難所といわれていた。打ち付ける波にさらわれないように旅人は慎重に進んだという。親は子供を顧みる余裕が無く、子もまたしかり。だから親不知といわれるようになったのだと。壇の浦の戦いに破れ、長岡に身を隠していた平頼盛の元を妻が訪れたのだが、その際に幼子が親不知で波にさらわれてしまった。その悲しみを唄った句がある。
「親不知 子はこの浦の波枕 幾路の磯の泡と消え行く」

 

「止めといた方が良いよ」
自転車屋の店主は言った。
「あそこはよく事故で人が死んでるし」
こう脅されて糸魚川を出発した。再び山を越え、太平洋側に戻る。思えば2日目に思い立ちで白川郷に行ったがためにこうなっているのだ。でも、それでよかった。
七キロ続くトンネルを抜けたところで後輪がパンクした。チューブを替えたが、空気が入らない。初日に携帯用ポンプがダメと気づいてから新しいモノを買おうと思っていたのだが、こんなに早く必要に迫られるとは考えていなかった。
国道沿いの集落に空気入れを借りに行った。一人の方に頼むと小さな村から10人くらいが集まってきた。村中から5つも空気入れを持ってきてくれた。けれどどの空気入れも僕の自転車に適合しない。
「ダメっちゃ。次、これもダメねぇ?」
普通の自転車のバルブは英式なのだが、僕の自転車のバルブはフランス式であった。アダプターがあるのだが、どこかで無くしてしまっていた。
「んだ。自転車屋さんに行くっちゃ」
一番、最寄りの自転車屋は20キロ先だった。電車で3駅。
「次の電車は何分ですか?」
そう尋ねた。
「13分後ね。」
「これを逃したら次は?」
「三時間後よ。」
急いで自転車を解体して袋に入れ、駅へと向かった。電車はワンマンだったが、意外に車内は近代的だった。3つ先の駅で降りる。向かいのホームには新宿行きの特急が停まっていた。もうこんなに東京の近くにいるのか。
自転車屋で自転車の空気を注入してもらう。
「これはタイヤがもうダメづら」
殿馬一人以外で語尾に「づら」をつける人を始めて見た。
山道に戻る。北アルプスの山々がそびえたっている。
だが、そこまで美しいとは思わなかった。岐阜から富山へと向かう時に見た景色の方が僕の胸を打つものがあった。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中