19歳 ―nineteen ―

富山と石川の県境を越えたとき、雨が降り始めた。初めはヘルメットを濡らすくらいであったが、次第にズボンの中まで水が染み始めた。
雨は嫌いだ。小学生の時は野球の練習が無くなるので好きだった。中学生になってから雨でも練習が無くならなくなって、逆に厳しい練習メニューを課されるので嫌いになった。
トンネルを一つ抜けると雨が上がっていた。次のトンネルを抜けるとまた雨が降っていた。その次を抜けると……、前よりも雨は強くなっていた。
金沢は雨だった。体の底まで冷やされた。黒い雲が街を覆いつくしていた。
泊まる宿を探さなければならなかった。横になれるところで寝たかった。地元の人に安い宿を訪ねると、「nagonde」という一軒のゲストハウスへと連れていってくれた。
ドミトリーで2700円。僕からすると高級宿だったが、そこに決めた。案内された部屋は二階の男性用のドミトリー部屋で一室に二段ベッドが2つあった。その日はオーストラリアから来た観光客と同室だった。
一階のリビングルームには自然と宿泊客が集まってきて、コーヒーなどを飲みながら談笑していた。
僕が自転車で旅を続けていることを話すと、オーストラリア人の男性は「You are crazy」
と言った。キチガイと言われているのに嬉しかった。
もう一人、オランダ人の女性も泊まっていた。175センチくらいの細身の女性で笑う頬にはあどけなさがあった。
年齢を聞いてみると「nineteen」だった。同い年だった。容貌もそうだけれど、立ち振舞いに落ち着きがあったので、もっと年上だと思っていた。遠い異国の地に芸術を学びに来たのだと。
俳優の東出昌大に似ているゲストハウスの職員の方も気さくな人だった。
その夜は、学童野球のチームメイトで今は金沢大学に在籍している友人と夕食に出かけた。高校までは野球部だったが大学でアメフットを始めたのだと。半年前に会ったときよりも肩幅が広く、胸筋も膨れあがっていた。
翌朝、起きると体の疲労は楽になっていた。
その日は金沢観光をすることに決めた。

金沢城

金沢城はほとんどが新しい建物でどこに歴史的価値があるのか分からなかった。散歩していた老人に「天守閣はどこにあるんですか?」と尋ねると、「江戸時代に落雷で焼失して。外様やったから再建してもらえなかったんや」と。それから前田家や加賀藩にまつわる話を始めた。大河のように長い老人の話を適当に切り上げて金沢城の隣にある兼六園に向かった。「日本三大名園」と謳われているわりに何が良いのか分からなかった。

兼六園

 

僕みたいに何の趣も感じられない人間が見ても仕方ない場所だった。前日に山越えをするときに見た渓谷の景色の方がよっぽど胸に迫るものがあった。納豆餅というのを買ってみたが、冷めきった餅を噛みきるのに苦労した。
東茶屋街というところにも行った。その名の通りお茶屋さんがあるのだが、今はほとんどただの観光地だった。800円の金箔ソフトクリームというのが飛ぶように売れていた。アイスに金箔を貼るだけでこんなに売れるなら楽な商売である。京都に帰ったらマネしたい。
「北の京都」というだけあって古い街並みがキレイに残っていた。戦時中に空襲に遇わなかったからだという。
街の中心部から少し外れたところのビルディングにある文芸館にも行った。金沢ゆかりの作家についての展示があった。
「金沢三文豪」というのがあって、徳田秋声、泉鏡花、室生犀星だそうだ。ちなみに泉鏡花は男である。中々に渋いメンツだ。
室生犀星の句に
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」がある。
僕のふるさとは大阪の東部にある大東市という町だ。「街」ではなく「町」という漢字を使ったように、田舎と都会のどっち付かずで特に目立ったモノもない。それでも僕にとってはふるさとなのだろう。そう考えると何だか悲しい。
「都会の空でも ふるさとだろ」と積水ハウスは言っていたし、それを励みにしよう……
とりあえず「異土の乞食」になる前にはふるさとに帰りたい。
三文豪以外にも金沢ゆかりの作家は多い。その中に島田清次郎という人がいる。大正の初期に活躍した作家であるが、その生涯がすさまじい。
19歳で書いた小説「地上」が大ベストセラー。本が今よりもよっぽど高価な時代にシリーズで50万部を売り上げ、版元の新潮社の「ビルを建てた男」と言われたそうだ。だが、その傲慢な性格と明らかな作品の劣化によって文壇から淘汰されてしまう。しまいには誘拐事件を起こしてしまい世間からも見放される。そしてデビューからわずか四年後、24歳で夭折。そのおよそ10年後に肺炎で死去。一世を風靡した作家の名を、現在ではほとんど聞かない。代表作である「地上」も廃刊となっている。
高校生の時、図書館で30年の年月の間に黄色く変色した地上を読んだことがあった。内容の大半を失念してしまったが、嘆声を洩らすくらいに衝撃を受けたことは記憶している。この折りに思い出したことではあるが。
島田清二郎が地上を書いたのは19歳の時だった。同い年である。そういうことを考えると焦燥が胸を焦がす。「何かしなければ」と。

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